CDラジカセと音楽アプリ。

土曜日は毎週、朝からセブンイレブンでグァテマラブレンドのラージと、あんバターのコッペパンを買って会社に来る。誰もいない事務所の流し台で、社員の女の子からもらったタンブラーを洗って、紙コップのコーヒーを移す。普段座らない事務所のデスクに座ってMacを起こす。長く座るとお尻が痛くなる一番クッションの薄い椅子に座る。メールを見て、パンを齧って、コーヒーを飲んで、あんまり良くはないとわかってるけどコーヒーで薬を飲む。一通り目と頭が冴えてきたら、仕事にかかるか、これを書く。


土曜日の朝は、ここ12年、ずっとこんな感じで続いてきた。変わったのはBGM。会社を始めたばかりのころは何も無くて、安いCDラジカセで「羊毛とおはな」のCDをリピートでかけていた。羊毛とおはなのアルバムは一枚が短いから、CDを変えなければ40分ぐらいのアルバムが一日中流れてるという状況だった。今は、時代が変わって、Apple musicやがSpotifyがあるので、BGMは、無機質に親切に機械が僕の好み合わせた音楽を流してくる。そして、会社を立ち上げた時に買った安いCDラジカセは、とりあえず今も会社の壁にかかっていて、社員が居る時に事務所の中に音を流すというコトだけを手伝ってくれてる。


12年で、CDラジカセは音楽アプリに変わった。


会社を興して12年。人々のアナログな暮らしの中にデジタルが少しずつ浸透していく、そんな社会の過渡期に経営をやっていて、今になって僕は本当にラッキーだったと思う。人類の進化を、経営者の目線で見てこれた事は、僕の40代の最も大きな財産だったと感じれるからだ。経営者であって、良くも悪くも人との関わり方を嫌というほど学び、精神が強くなった。そう、人はどうやったって理解できない。地域は、望むより望まれる側になる事が大事で、地域から望まれるコツってのは、端折って言うなら金魚鉢の濾過装置になる事だと解釈できた。社会は本当に冷たい。労働者であり続けるなら社会は優しいが、労働者の感覚を捨てた瞬間に社会は固いだけの壁になる。だけど、労働者であり続けて、固い社会を知らぬまま、ある日突然、自分自身の社会人としての機能が終わっていくコトに気づいた時に、人はとても寂しくなり、虚無感に襲われ、死の恐怖に怯え始めるのだ(と思う)。先人が、苦労は買ってでもしろと言うのは、それが、良い終わり方をする為のコツなのだというコトを教えてくれているのだと、今つくづく思ってる。


そういや、今は、セブンイレブンでグァテマラブレンドのラージとあんバターのコッペパンだけど、12年前は缶コーヒーとドーナツだった気がする。


40代、残り1年半。


CDラジカセで始まった僕が、次、サブスクの音楽アプリを楽しめる様に。


覚悟は出来ている。

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