ちょっと贅沢なプラカップのアイスコーヒー。

土曜日の朝一番に会社に来る。


鍵を開けて誰もいない事務所に入り靴箱の上の電灯のスイッチを押す。今の時期ならエアコンのリモコンでドライのボタンを押す。事務所奥に行ってドアの鍵を開け、管理者テーブルのある部屋と廊下の電気をつける。キャビネットの上のミニ扇風機のスイッチも入れる。事務所を出てゴミを整理する。今の時期ならコバエが来ない様に開けっぱなしのゴミの袋の口を結ぶ。シャッターを開けてからカフェに入る。カフェでもう一回エアコンのスイッチを入れたらテーブルに座ってMacBookの画面を開ける。何かしらの音楽アプリでボーカルの入っていないBGMを選ぶ。テーブルにはセブンで買ったマーガリンあんパンと、ちょっと贅沢なプラカップのアイスコーヒーがある。そこまでのルーティーンが終わったら社員の到着を待ちながらもう今日の仕事を始めてる。


そんな土曜日を過ごし続けて12年。

37歳からそんなコトをはじめて、もうぼちぼち48歳が終わろうとしてる。

12年前、傍のコーヒーは缶コーヒーだった。

これがいつのまにか、挽き豆のプラカップコーヒーに変わったいた。


今、ハイスペックな事業計画書の作成や新しい場所の平面図の構想に忙しい。現場が好きなのは変わらないが、今の僕は仕事づくりや会社の環境づくりが一番の現場仕事だってコトに納得出来ている。目の前の年寄り一人、共に働く社員一人、生きがいを持って死ぬまで支えよう、人生の意義を生み出させようと思う時、たとえば僕らの業界なら資格や技術者である事を守るのに意味があって当然と思う。ただ一方で、そこを超越して仕事を創ったり環境を創れるパワーを持てる者は少ない。パワーは覚悟や犠牲と引き換え。今までと同じ楽しみを望むウチはそもそも見直したり変えたりするパワーは要らないし、だとして僕はそれを否定しない。


僕は、パワーを使う側に居るコトに納得できた48歳を過ごしてる。


今朝、ふと気づいた。挽き豆の贅沢なプラカップのアイスコーヒーがコンビニのレジの一番目立つ所で売られている。今朝それを買った。でも、店の奥の冷蔵庫の中には昔からある缶コーヒーも冷蔵庫に綺麗に並んで売られている。缶コーヒーが好きな人も大勢いる。


どっちも同じコーヒーだ。


でも、一方は、この12年間で、豆を選ぶトコから考え直し、挽きの製法を整えてマシンを組み立てた。味も、売り方も買い方も全部変えて、客に自分で淹れさせるという手段で缶コーヒーとは全く違う世界観を生み出した。もちろんビジネスとして成立する為の利益構造から考え直されている。そして、一杯150円なにがし、缶コーヒーより少し贅沢なプラカップのアイスコーヒーが生まれ、僕は、向こうの思うつぼに土曜の朝からそれを買い、ご機嫌に飲んでいる。


でも、どっちも同じコーヒーだ。


僕が難しい事業計画所を創ったり、複雑な導線を整理して平面図を創ったりするのは、このコトと似てると思う。


どっちも同じコーヒーだ。


一方は全てを変えて新たな文化を創った。一方は変わる事なく従来の文化を守ってる。


でもね、どっちも同じコーヒーさ。

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