9月1日で25年。

9月1日に決まった。

本店の開設記念日と同じ日というのが因果な感じだ。今時なのでプレゼンテーションはリモート。上手くいくかもだし、けちょんけちょんに言われて終わりかもしれない。ただ、当の本人は正直なことろ、結果はどちらでもいいと思っている。

この仕事、もともと金が目的ではない。会社の規模を大きくする事でも、社会課題を解決したって事の名誉でもない。だから、9月1日が決まったという事実に辿りつけた今、ものすごく肩の荷は降りている。

この仕事には、これまで随分悩まされた。ぶっちゃけ、最初に大口を当ててしまったので引くに引けないという状況はあったけど、それが理由の根幹でもない。

実は、この負担の大きく自己犠牲を強いられる仕事を続けた理由は大きく2つあった。

一つは約束を守るということ。数年前、非常にずるい人が居た。その人は、何にも指示せずこの仕事を僕の託して勝手に虹の橋を渡って行ってしまった。これはずるい。何がするいって、勝手に死んでしまうから、僕はその人の指示までも自分で決めてやらなきゃいけなくなった。結果、その人は絶対諦めない人だったから、当然僕も諦める訳にもいかずここまで来た。

もう一つは自分を終わるということ。そういう性分で、出口を決めずに生きてきた。だから、何が自分の終わりかを自分で定義できるまでやる。それが僕が仕事を続ける理由。でも、自分の終わりなんて自分で定義できるはずがない。幸せに生きたいと思う人が自分の幸せの方法を定義できないのと同じで、終わりは自分では定義できないから、続けた。

そして9月1日。

ウチの会社の創立25周年。なんともう四半世紀。嫌で嫌で始まった今の仕事の創立記念日に、僕は、ようやくずるい人との約束を果たせて且つ、他人に自分を決めてもらえる。

結果はどっちでもいい。

そう、結果が出てないのに、今、僕は周囲によく言われる「よくここまで頑張ったなぁ」と。そういうことなんだろう。初めてだ、結果が出てないのに周囲にとても褒められる。頑張れ!ではなく、よくやったなと褒めてもらえる。とても気が楽だ。

そういうことなんだろう。

結果じゃない。事実だな。

25年、続けてきたという事実だ。

それが一番大事だ。

ここまで来れた自分を、やっと許せそうでよかった。

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